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ハーラル・ホールファグレ()は、ノルウェー海軍の海防戦艦()。艦名は、ハーラル1世の別名、ハーラル美髪王を指す。 ==艦歴== アームストロング・ホイットワースにより、イギリスのニューカッスル・アポン・タインで建造された。ニダロス級海防戦艦がイギリス艦となったことから、旧式と見なされた1930年代中頃までノルウェー海軍の中核として位置づけられていた。 1907年にはアメリカ合衆国の入植300年記念式典に派遣され、6月18日に到着したが、これがノルウェー海軍初のアメリカ合衆国訪問となった。次いでにスウェーデン海軍のフライヤと共に参加した後に、ノルウェーへ戻った。 1920年代に近代化改装がなされたが、1930年代中頃には係船され、ハルクとして扱われるようになっていた。主砲は沿岸砲として転用されたが、機器は残されていた。 1940年4月9日、オスロフィヨルドの戦いで係船地ホルテンが制圧されたことでドイツに捕獲されたが、検査の結果速力14ノットを確保できると判断され、キールで改装が行われた。1941年2月1日、浮き砲台としての性格を持つ防空艦テーティス(Thetis)として就役した。 排水量は3,858tにまで増大、10.5 cm FlaK 38 6門、ボフォース 40mm機関砲 2門、2 cm Flak 30 14門を有し、自力航行が可能であった。ノルウェー北部沿岸に配備され、ナルヴィク、、で活動し、ティルピッツの防空に当たった。1944年末にキールへ移動したが、終戦までその動向は判然としなかった。 ドイツの降伏後はノルウェー海軍で旧名に復し、対空砲は沿岸砲として陸揚げされ、艦はドイツ人捕虜の輸送や宿泊艦として用いられた。1947年には退役しスクラップとして売却され、翌年解体された。 ハーラル・ホールファグレの名称は、後にスタヴァンゲル近郊に建設されたノルウェー海軍とノルウェー空軍の新兵訓練施設、に用いられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハーラル・ホールファグレ (海防戦艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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